十二運星を学び始めるとき、多くの人は十二の段階の名前を覚えるのに力を使い果たしてしまいますが、本当の役立ちはその先から始まります。自分の命式のなかで、それぞれの柱が今どの段階にあるのかを、自分で探してみることです。方法は意外にも単純です。基準はいつも自分を表す日干ひとつであり、その日干を年・月・日・時の四つの柱の地支に、それぞれ当てはめてみます。同じ甲木でも、どの地支に座るかによって、ある柱では力がしっかりと支えられ、ある柱では痩せていきます。年柱の段階は根と幼少期の土台を、月柱は社会と職業の舞台を、日柱は自分自身と配偶者の座を、時柱は子どもと晩年の気を、それとなく色づけていきます。四つの目盛りを一か所に並べてみれば、人生のどの領域が自然と強く支えられ、どの領域がより手当てを必要とするのかが、ひと目で見えてきます。
流れを読む本当の面白さは、大運と歳運で生き生きとしてきます。十年ごとに移る大運、毎年めぐる歳運が、自分の日干をどの段階へ押し込むかを見れば、今が伸びていく季節なのか、収めていく季節なのかを推し量ることができます。建禄や帝旺のように力強い段階に入った時期には、決断や拡張、独り立ちが自然とふさわしくなります——ただし気が強いことが常に益になるとは限らず、過ぎれば頑固さや過熱へと流れやすいので、自ら速度を治める知恵が共に歩まねばなりません。逆に、絶・胎・沐浴のように弱々しい段階の年には、大きな勝負に出るよりも、学び、満たし、関係を深めるほうが益になります。力の弱い季節は失敗の前触れではなく、次の跳躍のために身を低くし、根を潤す準備の時なのですから。
たとえば、新しく事業を起こす時期を選ぶとしましょう。日干が丙火の人が大運で寅木に出会えば、十二運星では長生の位に入ります——生まれたばかりの火のように、意欲と始まりの気が満ちてくる時なので、新しい仕事を起こし、学び、人を集めるのにふさわしい時期と見ます。一方、数年後に歳運が戌土へと流れて墓の段階に入れば、同じ人でも大きく増やすよりも、すでに始めた事を整理し、内へと固めるほうが道理にかないます。このように、同じ命式でも、どの季節を通るかによってふさわしい身の処し方は変わります。十二運星は、その季節の目盛りを読み、無理をする時と退く時とを見極める助けとなる道具です。
最後に、よくある誤解をひとつ解いておきます。命式のなかに「死」や「絶」といった字を見つけて、思わず怖がってしまう方が多いのですが、これらの段階は決して不幸の烙印ではありません。十二運星は良し悪しを付ける等級表ではなく、気が強い季節と弱い季節とを教えてくれる目盛りにすぎないのです。弱々しい段階に置かれた人が、かえって繊細さと柔軟さという、人とは違う持ち味を備えている場合も珍しくありません。いつもお伝えしているように、この十二の季節は定められた運命としてではなく、自分をより優しく理解するための鏡としてお届けします——今、自分の気がどの季節を通っているのかを知れば、流れに翻弄される代わりに、その流れに歩調を合わせて歩めるのですから。