風水において明堂とは、人と気が安らかにとどまれると考えられた良き地を指します。その第一の条件として伝統的に最も重んじられてきたのが主山です。主山とは地の背後をしっかりと支える山で、椅子の背もたれのように場を安定させると見なされてきました。主山から流れ下る山並みが左右に腕を広げるように抱き、その懐に穏やかな平地が広がるとき、はじめて地が整うと考えられました。背後が頼りなく開けていると気が散じると見て、背を支える山の存在を何よりも尊んだのです。
明堂を語るうえで欠かせないのが四神砂です。四神砂とは地を取り囲む四方の山並みを神聖な動物になぞらえたもので、後ろの玄武、前の朱雀、左の青龍、右の白虎を指します。この四つの山が四方を柔らかく抱き込むと、外の荒々しい気がみだりに入り込めず、内の良き気はとどまり蔵されると見なされました。いずれか一方が低すぎたり欠けていたりすると、その方角へ気が漏れ出ると考え、四方の均衡を見極めることを大切に扱いました。
これとともにしばしば挙げられる原理が背山臨水です。背山臨水とは、後ろに山を背負い前に水を望む形勢をいいます。後ろの山は冷たい風を防ぎ、前の水は暮らしと農に用いられるため、住まいの地としてこの上なくふさわしい配置と見なされました。さらに前低後高と前窄後寛という条件も重んじられました。前低後高は前が低く後ろが高い地形で、日がよく差し水が自然に引ける形勢を指し、前窄後寛は入口が狭く奥へ進むほど広がる形で、気が漏れず穏やかに集まると考えられました。
明堂の最後の要は、蔵風と得水を兼ね備えることにあると見なされました。蔵風とは風を蔵するという意味で、山並みが四方を抱いて冷たく激しい風を治めることをいいます。得水とは水を得るという意味で、清らかな水が近くを流れつつも一気に抜けず、ゆるやかに巡って流れ去る場が尊ばれました。風を防いで安定を得、水を得て生気を加えるこの二つが同時に満たされてこそ、はじめて完き明堂と称えられました。
興味深いのは、こうした伝統的な明堂の条件が、実際の定住地の合理性と広く重なるという事実です。背後に山を置く地は冬の冷たい北西風を防いで暖かく、前に水を置く地は飲み水や農業用水を容易に得られます。前が低く後ろが高い地形は水はけがよく浸水に強く、四方を抱かれた地形は外からの脅威から集落を守るのにも有利でした。そのため、昔の人々が明堂と見なして居を構えた場所は、農耕と定住の双方に適した住みよい土地であった場合が多かったと解されています。
このように明堂は、単に吉凶を占う場にとどまらず、長い歳月をかけて人々が自然を観察し積み重ねてきた定住の知恵が、形勢という言葉に整理された結果だと見ることができます。明堂を見るとは、すなわち山と水と風と日差しが調和した土地の理を読むことであり、その中には自然と調和して生きようとした伝統的な思考が深く息づいていると伝えられています。
最後に、明堂を語るうえで、その真ん中に置かれた穴を欠かすことはできません。穴とは、主山から流れ下る気がついに一点に結ぶと考えられた場であり、明堂という広い懐のなかでも最も精密に蔵された核と見なされました。昔の人々はこの穴を、鍼を打つ場になぞらえ、広い地のなかでただ一か所を正確に突きとめることを風水の最も難しい要所と見ました。同じ明堂であっても穴をどこに定めるかによってその場の吉凶が分かれると見て、山並みと水の流れをあまねく見極めたうえで気が最も充実して集まる一点を探すことを、明堂を見定める最後の関門としたと伝えられます。